源之丞(げんのじょう) 先生 人生の幅を拡げる占い師
占術 |
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イーチンタロット、四柱推命、風水、九星気学、周易、断易、手相 |
得意分野 |
仕事、転職、家族、パワハラ、片思い |
主な待機日 |
要予約(メール鑑定も可能) |
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twitter(出演日は固定ツイートをご覧ください) |
占い師の源之丞(げんのじょう)です。
私の両親は30代前半までフリーターで、自由な生活を送っていました。
その影響か、私も小さい頃から自由に生きてきました。
私にとって自由とは「選択肢の多さ」です。
選択肢が多ければ多い程、色んなことが出来る可能性が生まれるからです。
私は小さい頃からやりたいと思ったことを親がやらせてくれて、選択肢を沢山与えてもらい、そこから楽しいと思うことや自分の成長に繋がると思うことをやってきました。
小学生の頃はサッカー・水泳・体操・そろばん・塾・合唱団と習い事を6つやっていて、毎日何かしらの習い事をしていました。
そこから本当に続けたいものを絞って、最終的には水泳・サッカー・そろばん・合唱団の4つを小学校の6年間続けたのです。
この4つはその後の人生で、選択肢を広げてくれる私にとっての、大きな財産になりました。
水泳は高校の時の水泳部、サッカーは大学の時のサークル、そろばんは今でも計算が速く出来て、
仕事や普段の生活、合唱団は歌が好きになり、諦めてしまいましたが、歌手を目指すきっかけになったのです。
人生は決断の連続です。
私にとって決断の連続とは母の死により、さらに大切なものとなったのです。
2017年に母が癌で亡くなりました
2015年位に癌が見つかり闘病生活をすることになり、入院と通院
母は凄く気さくでめったに怒らない優しい人で、周りの人にもたく
葬式の日も母の知り合いから私の友達まで沢山の人が来てくださり、
子供の頃から父が仕事でほとんど家にいなかったこともあり、母と
私の友達が家に遊びに来たときも凄く気さくに話していて、人との
そんな母が癌になったと知った時は嘘だと思いましたし、信じられ
日に日に弱っていく母を見るのは他にはない、凄く辛く悲しい心情
闘病生活の最初の頃は料理や家事も出来ていましたが、それも少し
亡くなる数か月前から入院生活になり、病院に行ける日は必ず行っ
そして母が亡くなる1週間前位に父から後1週間位が峠だと言わ
それまでも悲しみはありましたが、
「いつか元気になるのではない
「また前みたいに明るく話せる日が来るのではないか?」
と、心のどこかでそう思っていたのだと思います。
母が亡くなった日、僕は友達の家にいて父からの連絡で母が亡くな
母の死に目に逢えなかったこと
もっと沢山話しておけば良かった
この日と母の葬式の日が人生で
1番泣いたのではないかと思うくら
選択肢を見つけることが出来れば、選択肢が広がるだけでなく人生の幅も、広がっていきます。
占い師としても相談者の方に、沢山の選択肢を提示して、鑑定が終わった時、そこから相談者自身で1番良い選択をしていってもらうことをポリシーとしています。
選択をするのではなく、選択肢の提示をするというポリシーに、疑問を持つ方もいますが、人生は人それぞれ違い、自分で決めなければ絶対に継続出来ません。
せっかく良い選択肢があっても、継続出来なければ意味がなく、もし私が選択してしまったら絶対に、自分で決めてないからという甘えが生まれます。
甘えが生まれると、そこから人は退化が始まるので私は相談者自身に選択をしてもらうようにしています。
私の鑑定を受けたら、選択肢が広がり、自分にとっての最良の選択が出来るようになるはずです!
そして私に相談して頂ければ、きっと前向きに生きていけるようになると思
そこまで男らしくなく、中性的な部分もある分、女性の方もご相
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イジメやパワハラ、長年の片思いからの失恋、そして大切な母を亡
お客様や占い師同士はもちろん、ビル内でも人との縁を大切にして
現在は横浜中華街の老上海という占い館で代表を務めさせていただいてるため、横浜ほしよみ堂では予約制となっております。
みなさまのご指名、お待ちしておりますね。
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