人は誰かの為に生きる方が幸せ~命の使い方~
僕らが生きる意味って?
人はなぜ生きるのでしょうか?
これについては歴代の哲学者、宗教家が様々な論説を立てて来ています。
人によって考え方も違うでしょう。
この人類の難問に今日は敢えて挑みたいと思います。
僕の生きる意味は、与えられた役目をどのように使うか?
その役目は僕の場合、人の為、人の喜びの為です。
そして、それが一番の幸福度を上げる近道だと思います。
他人の為に生きてみる
他人が喜ぶ姿って嬉しくないですか?
僕はすごく好きです。
その姿があるからこそ、頑張れたりするのかなあと思います。
誰かを喜ばせたい、誰かの為になりたい。
この気持ちって人間が生きる上で一番大切な概念なのです。
人は自分さえよければいいやと思っている人は多いです。
でも、自らが望むものをつかめる人はごく僅か。
だからこそ、先ずは人の為にを優先してみると運は開けます。
僕の祖父の生き方
ここで、なぜ僕が人の為に生きることが幸せか?と思うのかというと、祖父の生き方を見てきたからです。
僕の祖父は先の大戦が終わった昭和20年に既に17歳でした。
その当時は三菱重工長崎兵器製造所で働いていました。
そして、次男坊であるのに加え、僕から見た曾祖父は若くして急逝していたのです。
所謂、母子家庭の次男坊だったのです。
軍人として赴任し、出征を考えていたそうです。
実際、多くの友人を見送っていたのです。
そんな彼らに続こうとしていたのでした。
そして、長崎では8月9日に原爆投下を迎えるのです。
17歳で父親代わり
祖父には年の離れた従姉妹がいました。
終戦当時4歳と2歳の女の子がいたのです。
その子達の両親は原爆で亡くなってしまいました。
そして、色々な親戚を渡り歩き、どこも面倒見てくれない状況になっていました。
そこで、彼女たちの父親代わりとして引き取ったのが僕の祖父。
そして、彼女たちは女学校まで出て、無事嫁いで行ったのでした。
毎年、盆と正月には必ず今でもお墓と仏壇まで来てくれます。
祖父はきっと彼女たちのような困った人を放っておけなかったのでしょう。
そんな祖父のお葬式はそんな彼女たちを含めて、生前にお世話になった方々がたくさん参列してくれました。
そんな従姉妹の叔母様から聞いた話によると、畑を始めたのが彼女たちを引き取った後からとのこと。
彼女たちを養うために芋を育て、根菜を育てることが習慣になっていたのです。
誰かの為に生きて来た人生はこんなにも素晴らしいものなのだ
と思うことが出来ました。
だからこそ、誰かの為に生きてみるのも悪くはないと思うのです。
吉田旬佑
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