吉田旬佑

さようならエディ藩さん──棺に刻まれた無数の愛のメッセージ

横浜中華街の石畳を歩くとき、ふと耳を澄ませると、今でも遠くからギターの音色が聞こえてくる気がします。

その音は、誰よりもこの街を愛し、この街に愛された男──エディ藩さんのものです。

2025年5月、エディ藩さんが静かに旅立たれました。

77歳という人生の最終章。

その最期は、音楽と人に愛された、まさに「かっこいい背中」そのものでした。


◆ 中華街が育てた伝説のギタリスト

エディ藩さんは1947年6月22日、ここ横浜中華街・山下町で生まれました。

本名は潘廣源(ばん こうげん)。中国国籍を持ち、華僑としてのルーツを大切にしながら育った方です。

実家は中華街の老舗中華料理店「鴻昌」。

子どもの頃から異国情緒あふれるこの街並みに囲まれ、様々な文化が入り混じる音の世界に心を奪われていったと言います。

やがて彼は、その感性をギターに乗せ、1967年、伝説のグループ・サウンズ「ザ・ゴールデン・カップス」のギタリストとしてデビューします。

「長い髪の少女」「愛する君に」など数々の名曲を世に送り出し、日本の音楽シーンに鮮烈な足跡を残しました。


◆ 僕も中華街で生きている

僕自身、今こうして中華街で占い師として活動しています。

不思議なことに、エディ藩さんの音楽と彼の生き様は、どこかこの街の空気そのものなんです。

自由で、情熱的で、どこまでも人間らしい。

そんなエディさんの背中は、この街で生きる僕にとっても、一つの「憧れ」でした。


◆ 葬儀で見た“最高にかっこいい旅立ち方”

葬儀の日、会場にはたくさんの人が集まっていました。

著名人もファンも、地域の人たちも、みんなが彼を想い、静かに涙を流していました。

驚いたのは、エディさんの棺に、直接メッセージが書き込まれていたことです。

カラフルなペンで、一言一言、彼を想う言葉が丁寧に刻まれていました。

  • 「素晴らしい音楽をありがとう」

  • 「あなたのギターは、これからも生き続ける」

  • 「天国でもブルースを響かせてください」

僕も、迷いながらそっとペンを取りました。

「かっこいい背中を、ありがとうございました。」

この一言に、僕のすべての想いを込めました。

◆ 人は、こうして「愛されて旅立つ」のだ

人生の最後に、こんなにも多くの人に愛され、惜しまれ、

棺にまで想いを直接届けられる人が、果たしてどれだけいるでしょうか。

エディ藩さんは、まさに「愛されて生き、愛されて逝く」という人生そのものを体現した人でした。

僕はこのとき、心の中で一つの答えを見つけました。

「人は、自分の人生に本気で向き合い、自分の音を奏できったとき、

その人生は最高のフィナーレを迎えるんだ」と。


◆ 残された僕たちにできること

エディ藩さんは、最後までギターを手放さず、音楽を愛し続けました。

その姿は、僕たちに「自分の役割を全うすること」の大切さを教えてくれています。

僕は今、中華街で占い師として、目の前の人の人生に寄り添うことを選びました。

まだまだエディさんのように「かっこいい背中」とは言えませんが、

それでも自分の道を、自分の音を、最後まで響かせていきたい。


◆ 最後に──ありがとう、エディ藩さん

エディさん、

あなたがこの中華街に残してくれたものは、

音楽だけではありません。

「自分を生ききることの美しさ」

「愛されて生きる覚悟」

「誰に何を言われようとも、自分の音を貫く勇気」

僕たちは、そのすべてをあなたの背中から教わりました。

これからもこの街のどこかで、

あなたのギターの音が静かに鳴り響いている気がします。

どうか、安らかに。

天国でも最高のブルースを奏でていてください。


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