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《吉田旬佑》食事の大切さ〜食事が出来ることの幸せさ〜

現代人は食べ過ぎ

1日3食の食事は人間の消化器の構造から考えると食べ過ぎと言わざるを得ません。

僕は思うのです。

食べ物がなかった時代の方が人類は多いのです。

だからこそ、もともとこんなに食べる事を想定して作られた身体ではないのです。

現代人の多くは食べ過ぎが原因による病気、気の衰え、パフォーマンスの低下が多いのは食べ過ぎによるものかと思います。

僕の祖父母は食べろ!と言ってくれた。

僕の祖父母の口癖は「夢に出てこんように、ようけ食べろ!」と言われていました。

祖父母が小さい頃は食べる物がなかったのです。

そして、被爆3世の僕は祖父母がどんなに苦しい思いをしたのか?が何となく想像がつきます。

祖父の妹さんから聞いた話に、厳しさを物語る話があります。

「兄さんはいつも妹たちに芋一本与えて自分は一口だけ。」

「ひもじいか?筍取りに行って来る。」

こんな会話が日常だったのです。

芋とあるか分からない筍、そして山菜のみ。

現代人の多くは絶句するのではないでしょうか?

そして、採って来た芋は一口のみ。

こんな話はつい70年ほど前では当たり前だったのです。

食べれる幸せ

食べられることって幸せですよね。

僕の祖父母の世代は食べれる事がなかったのです。

そして、僕は24歳の時に知覧の特攻平和会館に言った時に富屋旅館に宿泊したのです。

鳥濱トメさんが特攻隊として飛んでいった若者たちの為に用意していた食事を再現した食事が出されます。

白米、煮物、漬物、具なしの味噌汁なのです。

これが特攻隊員の最後の食事です。

僕らは不味いと言って食べ残す事って多いですよね。

僕は祖父母の前で食事を残そうものなら、烈火の如く怒られたのです。

食べ過ぎの人の特徴

食べ過ぎの人の特徴は僕は思うのです。

批判されるかもしれませんが、仏教の世界観で言うところの「餓鬼」だと思うのです。

むさぼり食う様です。

貪りの心が表面に出ているのです。

だからこそ、食べ物への感謝もない人が多いです。

そして、不味いと言って食べ物を無駄にします。

僕は思うのです。

今、こうして食べれる事がどれだけ幸せなことなんだろうと思うのです。

僕は幼少期、親よりも長い時間を過ごした祖父母の事を思うと、食べ物に慈しみを持ち、こんなに幸せな事があるのか。と感謝しています。

だからこそ、「いただきます。」「ご馳走さまでした。」その心を大切にしています。

横浜ほしよみ堂のメンバーとはよく、中華街の食べ放題に行きます。

でも残しません。

頂いた物、お客様から生かされていること、そして、その恵み、どれだけの人が関わったか?

そこに感謝しながら味わうのです。

もし、あなたが食えど食えど満足出来ないのなら「味わう」という事を忘れているのではないでしょうか?

きっと今までに無かった感覚も味わえるはずですし、味わう分、普段の腹八分目になるかもしれません。

 

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