お知らせ

どれだけ神社に通っても運が開けない人へ──“見えない存在”との付き合い方、間違っていませんか?」

第1章:「なぜ“神様ショッピング”は不幸を呼ぶのか?」

「〇〇の神様がスゴいらしいよ」「この神社、インスタでバズってた!」

そんなふうに神様を“口コミ”や“願望成就率”で選んでいないだろうか?──あなたが神様をショッピングする限り、開運は遠のく。それどころか、運気は確実に乱れていくんです。

人間関係にたとえるなら分かりやすい。たとえば、今あなたが付き合っている恋人が、毎週別の人に告白していたらどう思う?「もっと可愛い人がいたから乗り換えた」「あの人はお金持ちだからそっち行くね」…そんな相手に“本気”で愛を注ごうと思える?思えないよね。

神様だって同じです。

神仏の世界には“結び”と“縁”というものがある。つまり、「どの神仏とご縁があるか」は、先祖代々のつながりや、魂の契約によってすでに決まっていることが多いんです。それを無視して「願いを叶えてくれる神様」「強そうな神様」に次々と手を合わせる行為は、“魂の浮気”とさえ言える。

しかもこの“神様ショッピング”が怖いのは、本人にその自覚がないこと。

「たくさんの神社に行けばご利益も増えるはず」

「いろんな神様にお願いした方が叶いやすいに決まってる」

そんな“欲”と“不安”が動機になっているのに、それを「開運活動」と呼び変えてしまうから、どんどんズレていく。いや、むしろ運の流れを止めてしまうんです。

本当の開運とは、「どこに祈るか」ではなく「誰を敬うか」にある。

神様にお願いする前に、まず先祖に感謝してる? ご飯を食べられること、呼吸できること、今日も生きてること──そのすべてを支えているのは、“あなたの命をつないでくれた人たち”です。そこを無視して、流行りのパワースポットに飛びつくのは、まさに“根なし草”の生き方なんですよ。

「神様が好き」という気持ちはとても尊い。でも、その愛が“軽薄”になってはいけない。

あっちの神様、こっちの仏様、次は新興宗教?──そんなふうに“浮気心”を持つと、神様たちはあなたの“本気度”を見抜きます。そして最終的には「誰からも守られていない感覚」に襲われてしまう。

だから僕はハッキリ言いたい。

神様は“使う”ものじゃない、“敬う”存在なんだ。

開運の鍵は、「祈る前に、敬う」こと。

この根本を間違えると、どれだけ御祈祷を受けようが、御守りを持とうが、現実は変わりません。むしろ“迷い”と“混乱”だけが増えていく──

それが、“神様ショッピング”の本当の代償なんですよ。

第2章:神様に“浮気”する人の末路

神様に浮気する人は、自分では「信心深い人」だと思っていることが多い。

毎月のように神社へ行き、御朱印を集め、お守りを身につけ、「ちゃんと祈っている私」を演出している。でも現実はどうだろう。仕事は停滞し、人間関係はこじれ、同じ悩みを何年も繰り返している──こういう人、実は少なくない。

なぜか。理由は単純だ。

信仰の動機が“恐れ”と“欲”だから。

うまくいかない → 不安になる → もっと強い神様を探す

叶わない → 今の神社が悪い気がする → 別の神社へ行く

この繰り返しは、もはや信仰ではなく「依存」だ。

人間関係に置き換えれば一目瞭然だよね。

困ったときだけ連絡してきて、都合が悪くなると音信不通。

もっと条件のいい相手を見つけたら、あっさり乗り換える。

そんな人を、誰が本気で守りたいと思うだろうか。

神仏の世界でも同じ。

神様は「願いを叶える自販機」じゃない。

日々どう生きているか、何を大切にしているかを、静かに見ている存在なんです。

神様に浮気する人ほど、「裏切られた」「全然ご利益がない」と言う。

でもそれは逆だ。

裏切っているのは、常に人間の側。

さらに厄介なのは、この状態が長く続くと、

「誰にも守られていない感覚」

「何を信じていいかわからない虚無感」

に陥ることだ。

あっちの神様にも中途半端、こっちの神様にも中途半端。

結果として、**どことも“結ばれていない状態”**になる。

これは運気的に見ても、かなり危険だ。

本来、信仰とは「選び続けること」じゃない。

**“決めて、向き合い続けること”**なんです。

一柱の神、一つの系統、一つの姿勢。

それを大切にする人ほど、人生に軸が生まれ、

結果として運が安定し、守られる。

神様に浮気する生き方は、

自分の人生にも浮気しているのと同じ。

次の章では、

「感謝のない信仰が、なぜ自己中心になるのか」

このもっと根深い問題に切り込みます。


第3章:「感謝」のない信仰は、ただの自己中

神様にお願いはするけれど、感謝はしない。

うまくいけば「神様のおかげ」、うまくいかなければ「ご利益がない」。

──この姿勢、正直かなり多い。

でもね、これは信仰でも開運でもない。

ただの自己中心的な取引です。

本来、感謝とは「結果が出たからするもの」じゃない。

生きていること、今日も朝が来たこと、ご飯が食べられること。

その“当たり前”に気づけるかどうかが、運の分かれ道なんです。

特に致命的なのが、

ご先祖への感謝をすっ飛ばして、神様にだけすがる人。

あなたが今ここに存在しているのは、

神社があるからでも、パワースポットがあるからでもない。

間違いなく、命をつないできたご先祖がいるからです。

にもかかわらず、

「先祖供養はよく分からない」

「お墓参りは面倒」

「仏壇はないから」

と言いながら、伊勢だ出雲だと飛び回る。

これはハッキリ言って、順番が狂っている

神仏の世界では、

「身近な存在を敬えない者が、高次とつながれるはずがない」

という考え方がある。

親を粗末に扱いながら、成功者に媚びる人。

家族を無視しながら、理想の恋人を求める人。

それと同じ構造なんです。

感謝のない信仰は、

「叶えてくれなきゃ意味がない」という条件付きの信仰。

それはもはや祈りではなく、要求

そして要求ばかりの人間は、

現実でも同じことを繰り返す。

人間関係は壊れ、仕事は続かず、

「なぜかうまくいかない人生」を歩み続ける。

逆に、運が安定している人は違う。

派手なことはしない。

神社をハシゴもしない。

でも、日常の中で手を合わせる。

「今日も生かしてくれてありがとう」

「見えないところで支えてくれてありがとう」

この姿勢が、人生の“地盤”を固めていく。

開運とは、運を取りに行くことじゃない。

感謝によって、運が流れ込める器をつくること。

ここを履き違える限り、

どれだけ神社に通っても、人生は好転しません。

次章では、

「神仏」と「ご先祖」の本当の役割の違いについて、

さらに踏み込んで話していきます。

第4章:神仏とご先祖──役割を混同する人が、必ず人生で迷子になる理由

ここを勘違いしている人が、驚くほど多い。

**「神様とご先祖は同じ存在だと思っている人」**だ。

違います。まったく違う。

神仏は、いわば社会インフラのような存在

大きな流れ、時代の運気、国家や土地のエネルギーを司る存在だ。

一方でご先祖は何か。

**あなた個人の人生に直接責任を持つ“現場担当”**です。

この違いを無視すると、人生は必ず迷走する。

たとえばこうだ。

会社でトラブルが起きたとき、

いきなり社長に直談判して、

現場の上司やチームを無視する人間がいたらどうなる?

「順番を守れない人間」

「信用できない人間」

そう判断されるよね。

霊的な世界も、構造は同じ。

ご先祖という“現場”を無視して、

神様という“経営層”にだけお願いする。

これがどれだけ失礼で、危ういことか。

しかも厄介なのは、

このタイプの人ほど「スピリチュアルに詳しい」顔をすることだ。

神社の名前はやたら知っている。

御朱印帳は三冊目。

パワーストーンも山ほど持っている。

でも、足元がグラグラ。

家系の流れを知らない。

親との関係を直視していない。

先祖に感謝したこともない。

だから人生が安定しない。

神仏は“加速装置”であって、

“基礎工事”はしてくれない。

基礎工事を担うのが、ご先祖なんです。

地盤がボロボロの家に、

どれだけ最新の設備を入れても、

最終的に倒壊する。

人生も同じ。

神様に頼る前に、

「自分はどこから来たのか」

「誰の命の上に立っているのか」

そこを直視できない人は、

どこまで行っても“借り物の運”しか使えない。

厳しいことを言うけれど、真実です。

だからこそ、

次の章でははっきり言います。

神仏とご先祖に本当に守られる人間は、

“祈り方”ではなく“生き方”が違う。

そこに、開運の核心があります。

第5章:見えない存在とつながるには、“生き方”で示すしかない

神様やご先祖に「守られたい」と言う人は多い。

でも、その言葉の裏側をよく見ると、こう続くことがほとんどだ。

「楽になりたい」「失敗したくない」「損したくない」。

──それ、本当に“信仰”だろうか?

正直に言えば、ただの保身だ。

見えない存在とつながるというのは、

都合のいいときだけ手を合わせることじゃない。

お願いを叶えてもらうために、良い子を演じることでもない。

生き方そのものが、問いかけなんです。

神様やご先祖が見ているのは、

「何を願ったか」ではなく、

「その願いに見合う行動をしているか」。

たとえば、

「金運を上げたい」と言いながら、

・人を騙す

・約束を守らない

・感謝もなく、愚痴ばかり

こんな生き方をしていて、

どの顔で「助けてください」と言えるだろう。

逆に、運に守られている人は違う。

派手なことはしない。

スピリチュアルを語りすぎない。

でも、やるべきことから逃げない。

嫌な仕事でも、投げ出さずに向き合う。

人のせいにせず、自分の選択を引き受ける。

うまくいかなくても、腐らず、学ぼうとする。

こういう姿勢が、

「この人は信用できる」

と、見えない世界に判断される。

勘違いしてはいけない。

神様やご先祖は、甘やかしてはくれない。

むしろ、覚悟のない人間には、あえて試練を与える。

なぜなら、

それを越えない限り、その人は本当の意味で強くならないから。

だから、人生が苦しいときほど、

「嫌われた」「見放された」と思うのは早い。

それは、“本気で生きろ”というサインかもしれない。

祈るなら、覚悟を決めろ。

敬うなら、姿勢で示せ。

信じるなら、生き方を変えろ。

それができたとき、

神仏やご先祖は、言葉ではなく“流れ”で答えを返してくる。

人生が静かに、しかし確実に動き出す。

それが、本物の開運です。


第6章:まとめ──神様を味方につけたいなら、「浮気」をやめよ

ここまで読んで、もし胸がチクッとしたなら、それは悪い反応じゃない。

むしろ、まだ感覚が生きている証拠だ。

神様に浮気する人、ご先祖を後回しにする人、

「お願い」ばかりで「感謝」を置き忘れている人。

そういう生き方は、残念だけど運を削る。

はっきり言おう。

神仏の世界は、軽いノリの人間が一番嫌いだ。

今日はここ、明日はあそこ。

叶えば感謝、叶わなければ不満。

これ、信仰じゃない。

ただの“都合のいい関係依存”だ。

本当に運が開いている人は、

神社をハシゴしない。

お守りを大量に持たない。

SNSでスピリチュアルを語り散らかさない。

その代わり、

・日常を丁寧に生きる

・約束を守る

・嘘をつかない

・感謝を忘れない

・逃げずに責任を取る

こういう「当たり前」を、当たり前にやっている。

開運とは、特別な才能でも、選ばれた人の特権でもない。

姿勢の問題なんです。

どの神様を信じるか、じゃない。

どんな生き方を選ぶか、だ。

神様は見ている。

ご先祖は、もっと近くで見ている。

あなたが何を願ったかより、

今日どんな態度で生きたかを。

だから最後に、これだけは伝えたい。

もし本気で運を味方につけたいなら、

神様を“使う”のをやめて、

神様と“向き合う”生き方に変えなさい。

浮気をやめて、覚悟を決める。

感謝を口だけでなく、行動で示す。

先祖を思い、今を丁寧に生きる。

それができたとき、

あなたはもう「開運を探す人」ではない。

開運そのものになる。

ここから先は、

誰かにお願いする人生じゃない。

自分で引き受け、歩く人生だ。

その道を選んだ人だけが、

本当に、守られる。

──今年最初のブログとして、

この言葉を、あなたに贈ります。

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