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《吉田旬佑》心のキレイさが奇跡を呼ぶ〜祖母が教えてくれたこと〜

僕の小さい頃の習慣

僕が小さい頃の習慣は、よく祖母の家にいましたので、朝早くに起きてみんなで身支度をすることでした。

そして、顔を洗うと祖母から「お参りしなさーい!」と喝が飛んできます。

朝の始めはその家のお初物をお仏壇と神棚にお供えすることでした。

家の水道の初めはお初物なので、お仏壇と神棚にお供えに上がります。

そして、炊飯器で初めて炊きあがったお米はお初物ですから仏飯になります。

それらを先ず最初に準備するのです。

こうして、朝からご先祖と家にお座りになられているご守護の善神にご挨拶を捧げるのです。

僕はこの習慣のお陰で少なくともヤンチャ坊主ではありましたが、グレる事もなく育つ事が出来ました。

自らを慈しむ事はご先祖供養から。

恐らく、現代人の多くは家にお仏壇がないかと思います。

住宅事情もあるかもしれません。

しかし、少なくとも大人になるにつれて、そのありがたみもドンドン薄れて行きます。

ただ、冷静に考えると僕らの命はとてつもなくすごい系譜があるからこそ、先祖への供養が大切なのです。

どこかの一代でも系譜が途切れた場合は、もうないのです。

そう思うとすごいことです。

僕の世代の祖父母の代になると、兄弟は7人ほどいるのが普通ではないでしょうか?

そう考えると、祖父の代で7人、そして曽祖父の代で7人ほど兄弟がいます。

そして、祖父母方を合わせるともうそれだけで。。

すごい人数になってしまいます。

でも、これはどこかの一つがかけては行けないのです。

この命の系譜が自分のルーツ

もし仮に、この系譜がかけていたとするならば、僕はこの世に存在しません。

こう考えてみると、どうでしょう?

命の系譜のすごさと尊さが分かると思います。

そして、自分の存在の意義も少しは見出されるのではないでしょうか?

もし仮にあなたが自分の存在意義が分からないなど悩んでいる方には、先祖供養をおすすめ致します。

自らの系譜のお墓に行ってみてください。

墓碑に刻まれた先祖の名前を見てみて下さい。

これだけの人がいるから、自分は生かされているのだと気づく事が出来ます。

小さな奇跡の積み重ねが成功の近道

奇跡とは巷でよく人間が唱えているものです。

奇なる跡で奇跡。

お気づきの方もいらっしゃると思います。

奇なる事が積み重なって来ているのです。

先祖とはこの奇なる跡なのです。

そして、産まれたきたあなたの存在も奇跡。

僕らが後世に子孫を残せば奇跡。

この奇跡の系譜を感じる事が大切なのです。

朝に手を合わせる習慣

そうして、朝起きて命ある事に感謝出来ればそれもまた生かされているのです。

生かされているから、その奇跡を感じて感謝する。

だからほんの少しお初物を以て供養する。

因みに我が家では、貰い物はいつもお供えをしてからそして、頂きます。

貰える物も生かされた証。

だからこそ、食べ物も決して残してはいけませんし、感謝して食べる事です。

食うか食わぬかの生活だったあの頃を生き抜いて来てくれた祖父母がいるから僕もいる。

そう思うと感謝しかないのです。

僕は祖母が教えてくれたこの習慣で3度程命を落としかけた事もありましたが、生き抜いて来れました。

まさにまだまだ生かされていて、役目が残っているのだろうな。と日々感じながら過ごしています。

そういえば、僕が幼い頃に高熱にうなされていた時に、祖父母が近くの神社でお百度参りをしてくれたそうです。

それもあり、お陰様で今日まで生きています。

この奇跡もきっと祖父母が与えて与えられてきた奇跡なのかもしれません。

 

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