吉田旬佑

《吉田旬佑》故郷で見つめた自分の足元~生き方~

さて、数日ブログの

更新が空いてしまいました。

それには理由があって

祖父の13回忌に出席しました。

 

そして3年以上

留守にしてしまった

故郷で久しぶりに両親と

親戚みんなに会うことが

出来ました。

 

そして法要の中で

ひたすらに祈っているときに

不思議な感覚になって来ました。

 

僕という人間がどうして

生まれて来たのか?

 

それを今一度考えなければ

いけないような気がしました。

 

それはまさに天からの啓示の

ような気がしていました。

 

祖父の生き様を見て来て

そして昭和の貧しい時代に

みんなで助け合って生きて来た

そんな生き様に僕は

何かこの時代に出来ることは

ないのだろうか?

それを考えさせられる

いい機会になりました。

 

僕の祖父は後輩や同僚に

好かれた人物です。

祖父の初盆の際には

多くの人がお参りに来てくれました。

 

そして思い出話に

その生き様を見て

感動しました。

世の為人の為。

 

困っている人の為に

野菜を作って周りに

配って、

そして近所のお年寄りは

皆さんが尊敬していました。

 

こういう生き方。

 

僕は本当に何か生き方を

問われているように

思えるのです。

 

ぜひ皆さんも

たまには自分の先祖や

自分のおじいちゃんおばあちゃんの

生き方を考えてみるのは

いかがでしょうか?

 

自分の魂のルーツを

考えてみる。

それってとても

すごいことです。

 

僕はまだまだ人間として

半人前です。

だからこそこういう

機械に恵まれて

本当に幸せだった

わけです。

 

貧乏ながらに

困っている人のために

生きていく。

そして貧乏が故に

人に不平不満を言わない。

戦争を生きた人たちは

みんな我慢強く

そして生きることに

必死だからこそ

今という瞬間を大切に

生きています。

 

その時代を少し感じれて

僕も改めて自分の未熟さ

そして至らなさも

見つめることが出来ました。

 

お墓に参った際に

僕のおじいちゃんの兄弟に

2歳で亡くなった子供の

戒名が刻まれていました。

 

昭和の時代や大正の時代は

そもそも大きくなること自体が

容易ではない時代。

僕の先祖には

生きれなかった人も

そしてその悲しみも背負った

人がたくさんいる。

 

だから僕が今こんな

仕事をしているのだろう。

そう思えるのです。

 

全ての事には意味がある。

あなたが今生きていることに

疑問を感じるなら

自分の先祖を

参ってみるのも良いでしょう。

 

僕は今回の故郷長崎の

旅は自分という存在に

大きな一石を投じられ

そして生きる意味を

もう一度考えることが

出来て良かったです。

 

占い師に哲学なくして

人を救うことは出来ない。

 

あなたが本来見てもらうべき

占い師はパッと見の占い家風の

人間ではなく

魂から心の目で見ている

占い師でなければならないのです。

 

https://airrsv.net/yokohamaHoshiyomi/calendar?schdlId=s00006FA91

https://yokohama-hoshiyomido.jp/fortune-telling2/20220924180842/

https://yokohama-hoshiyomido.jp/fortune-telling2/20230512183502/

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